電車に乗っても「パーカーを着ている人」が多い。「パーカーおじさん」「カジュアルおばさん」という言葉があるそうで、「年甲斐もなく」というか「イケてる」というか・・・・・・。「パーカーは『ダサい』と言われることの多い服です。パーカーを着る人が『だらしない』だの『年不相応』だのと批判されることも多いし、・・・・・・おしゃれに着るのが難しいアイテムではないでしょうか。にもかかわらず、若い人も、年配の人も、性別に関わらず、みんなパーカーを着ています」から始まる背広・スーツばかり着ている私にとっては、とても新鮮な本。
「人はなぜ服装が気になるのか」「『ダサい』とか『ふさわしい』とは」――。服装の歴史や意味について示している。「ダサい」とは、「格好悪い」や「垢抜けない」を意味するが、その判断は常に揺れ動いている。
そこにあるのは、「規範」と「逸脱」だ。歴史的、社会的、人間関係などから「規範」が作られる。身分の上下(貴族と平民)や、産業革命を経て働きやすい服装が求められたり、M・ウェーバーが指摘するプロテスタンティズムの倫理から華美なものよりシンプルが求められたり、スポーツやレジャーの盛り上がりの影響もあったりする。「スーツはイギリスの貴族から生まれた(チャールズ2世の肖像)」「フランス革命により、自由と平等の象徴へ(革命推進派の長ズボンであるサンキュロット)」「ブランメルのダンディ」「女性の方は色彩や装飾豊かとなったが、社会進出が進むにつれてシンプルに」・・・・・・。「常識」や「規範」は、歴史の流れの中で築かれ、またそれ自体が変わっていったのだ。
「逸脱」――。パーカーは、スポーツや労働のための服であり、カジュアルだから、「パーカーおじさん」もいいが、歳をとると似合わなくなりがちだ。だがここにきて「パーカーを着た税理士たちが、DXで世界を変える!」という本がある。お堅い税理士事務所というより、「パーカーを着て、和気あいあいとしたカジュアルでIT企業のような雰囲気」というわけだ。特にIT企業のリーダーは、スティーブ・ジョブズも超カジュアルなスタイル。これが実は三宅一生のデザインだと言う。そのジョブズが目に止めたのはソニーの制服だったと言う。旧来のビジネスモデルや慣習に囚われないという発信でもある。「古い慣習や旧来のビジネスモデルに挑戦する服装となるのです。それは『スーツ』に対抗する服なのです」・・・・・・。アメリカのドラマで話題となった「スーツ」は、日本版でも楽しかったが、弁護士を騙るための「スーツ」であったことが示されている。
話題は服装・スーツなどの歴史から「2025年のホワイトハウスにおけるスーツを着ないで会談に臨んだゼレンスキー」や「中山服の習近平」、さらには明治4年の「岩倉使節団」を始め実に豊富に取り上げている。式典等と服装、会合と年齢や立場のTPOは難しいものだが、どう考えるかということ自体、葛藤そのものがある意味では面白い。
「流行ばかりを追いかける必要はありません。おしゃれでなくてもいいのです。でも慣習に縛られている必要もありません。外したってよいのです。『ダサい』は、規範から逸脱し、自由になるための力です。・・・・・・服装に正解はありません。ただ、自分にとって『ベスト』な服を着ていられることが一番の幸せなのです」と結んでいる。
高杉晋作が死を前にして詠んだ「面白きこともなき世を面白く」に「棲みなすものは心なりけり」の下の句をつけたのは女性歌人の野村望東尼(モト)。モトは50代で夫に先立たれ、出家して穏やかな余生を送るはずだったが、嗜んできた歌の師匠を求めて、大坂そして京都に旅する。そこで勤王の志士に出会うなか共感、多くの志士の支援をするようになる。「こげん婆さんになったっちゃ勤王ば唱えて、どげんか世ば変えられんかと逸っとるんやけん、自分でも呆るうったい。女は家ば守るもんやちゅうとに、ほうぼう飛び回った挙げ句、家族にも迷惑ばかけて。恥ずかしい話やばってん」・・・・・・。武家の妻とか母とか祖母とかを離れて、歌の上手な老境の女性が、ただ「本心」に従い生きたいように生きる。幕末の志士たち、あの平野国臣や高杉晋作までも「母」のように「同志」のように慕い安らぎを与えた一女性の姿をくっきりと描く。それはそのまま、長州に隣接する福岡藩内の一女性から見た鮮やかな幕末史となっている。
身分があるわけではないが、やり手で行動的、包み込むような優しさと教養を持った魅力的でちょっと困った"老女"という感じか。志士は皆、惹かれ語らいたくなるのだ。モトも「なぜ勤王運動に身を投じられたか」を聞くたびに、「喜悦で体が満たされていく」のだった。しかし野村家では、「タネは眉間の皺をますます深くした。『野村ん家はお義母様がおらんと回らんけん、妙な運動に肩入れせんごとと申し上げとうとです』」といった具合だ。
桜田門外の変、生麦事件、8.18の政変(1863年)、翌年の蛤御門の変(禁門の変)、長州征伐・・・・・・。尊王論、攘夷論の運動は激しく、朝廷、幕府、特に長州も各藩もバラバラで揺れに揺れた。
その中で望東尼から見た志士たちが実に生き生きと描かれる。特に生きていれば龍馬のようになったかもしれない平野国臣、そして高杉晋作だ。本書前半の主役は平野、後半は高杉。高杉はモトに、「わしら、同志じゃけぇな。同志ん中でも、最上の同志じゃけぇ」と言い、島から救われたモトは病床の高杉晋作に最後まで付き添った。高杉はモトだからこそ、全てをさらけ出した。その剥き出しの人間像は限りなく魅力的だ。高杉晋作を支えた尊王攘夷の拠点は長州の豪商・白石正一郎だが、モトもまた心の拠点であったようだ。
モト、野村家を支えたしっかり者のタネ、高杉晋作の妻・雅、愛妾おうの----。「幕末の女たち」と「女たちの見た幕末」が、実に鮮やかに活写された素晴らしい力作。「きみがなき あとよりかれし秋草は 生かへりきて 花さへぞさく」・・・・・・。
ロシアによるウクライナ侵略、アメリカ・イスラエルによるイラン攻撃など、世界は大国の力むき出しの時代に一変、そのなかで日本は人口減少・少子高齢社会、A I・デジタル社会の急進展、気象変動・災害の激甚化の構造変化に直面している。ところが肝心の政治は、ポピュリズムにSNSが加わる「デジタル・ポピュリズム」に席巻、翻弄され、政治の熱量が低下している。その中で本書は、「今や世界はますます危機的な状況を迎えている」とし、本源から「政治とは何か」を問い直し、「政党とは何か」「政治家とは何か」「政治と危機」「なぜ政治をしなければならないのか」を考察する。
「民主主義と政治」――。「民主主義とは参加と責任のシステム」「民主的な参加の拡大を訴える以前に、そもそもまともな意思決定が行われているのか、それ自体が疑わしくなっている」「AI に集合知を超える英知があるのか。常に変化し、自己修正するのが人間」と問題提起する。
「政治とは何か」「アレントとシュミット」――。「アレントは政治の本質を複数性に見出し、異なる他者との間で言葉を返して関係を構築していくことを強調するのに対し(この複数性を消去するものが全体主義)、シュミットはいかなる時代においても、人間と人間を深く分断する要因があるとして、政治の本質を『友と敵の区別』に見出す(シュミットには、根源的に多元性への懐疑、ペシミズムがあった)」「シュミットには、真の秩序を求める精神と、それ故の現状に対する絶望の両方があった。・・・・・・国際政治のリアリズムを見ていないからダメだと言う人に限って、どこまで真のリアリティーを考えているのか疑問であり、みんな『シュミットもどき』になっているように思う」と言う。私の言う「リアリズムの名の下の右傾化」だ。
政治とは、「複数性の共存をはかる人間の知恵の技術」「言葉による議論や制度による媒介を通じて、社会の対立を調整しつつ、公共の利益の実現を目指すもの」「一人ひとり同じではない多様な個人や集団が相互の間に対立や衝突が生じることを前提に、それでも言葉を介して秩序を生み出していく営み」という考え方が見えてくる。
「政党とは何か」――。「党派の存在を認め活かすべきだというヒューム。それに対し、各人の特殊意志、その総計の全体意志とは区別し、社会の共通利益を考えたときに浮かび上がる一般意志を唱えるルソー」----。「政権の獲得を目指し、共通の主張や利益などによって結びつけられた政治的な集団」という現在の政党論の研究を示したエドマンド・バーク。そして著者は「政党の未来像としてまず重要になるのは、DX化による徹底した透明性と、重要な政策領域における専門性の確保、そして有権者に資する多様な選択肢の提示である。膨大な情報を収集・分析し、未来のビジョンを提示する政策アドバイザー的な役割が政党に期待される。その上でより高度な批評性を発揮し、新たな価値の基準を示し得るか。政党をいま一度、社会を動かす原動力として再設計する必要がある」と指摘する。デジタル・ポピュリズムと選挙のなか難しい課題だが、それを乗り越え得るかどうかだと思う。著者は「未来の政党は、『共通善(コモングッド)』をめぐる真剣な対話と実践から生まれるのではないか。フェイクなものが横行する現代だからこそ、社会的な善への問いが不可欠だ」と言う。
「政治家とは何か」――。ウェーバーとマキアヴェリを取り上げる。「分裂した人々の間に合意を生み出す人間、社会的課題の本質をシンプルに表現し、多様な人々の努力をそれに向けてコーディネートしていく。粘り強く活動し、献身することに喜びを感じる。その任務を天職とする政治家」がウェーバーの政治家像だ。政治家と専門家を区別し、専門家を見抜く力が政治家には必要。また「カリスマ的リーダーにかなり思い入れがある」と言う。
マキアヴェリは、「獅子のように恐れられ、かつ狐のようにずる賢くあれ」「愛されるより恐れられる方が良い」と政治家について言っている。しかし単なる権謀術数の人物ではなく、「運命に対して、人間がどれだけ抵抗できるか、どうやってコントロールできるか」に関心を抱き、「タイミングを読み、状況の変化を踏まえながら、いかに自らの主体性を維持することができるか」を考えた。私の言う「政治は現実を直視した臨機応変の自在の知恵」だ。
「政治と危機」――。オルテガを扱っている。大衆社会化状況における全体への個の埋没現象は、いまやAI・デジタル社会でさらに加速化し、「第二次世界大戦の反省に基づく秩序が崩壊し、底が抜けたような世界」となっている。オルテガの「大衆の反逆」は、「凡庸なままの自分に居直る人間」」のことだ。カーの「危機のニ十年」、マンハイムの「イデオロギーとユートピア」で指摘しているのは「人間の思考の脆弱さ、思考停止の無自覚」であり、「重要なのはユートピア思考とリアリズムの往復だ」「いまやそのバランスが崩壊している」と言う。
神学者のラインホールド・ニーバーの言葉の「変えることの勇気」「受け入れる冷静さ」「識別する知恵」(ニーバーの祈り)を取り上げている。「過度に道徳主義的になってはいけない。夢を見てしまってはいけない。現実の人間社会は欲望や衝動が常に吹き荒れている。そこをどうやってバランスを考え、秩序を作る。それを考えるのが政治の役割だ」と言うのだ。ニーバー、ケナンらを引きながら、著者は「有能なリアリストは、しばしば個人的にはモラリストであった」「リアリストの裏側に理想主義や道徳的な思考が潜んでいることをを見逃してはならないと思う」と言う。
AIはアルゴリズムに従って、言葉を連ねているだけであり、「何が善なのか」をめぐる道徳的な判断はないし、人格も責任もない。「政治は人間にしかできない」「共通善に向けた政治の営みを回復するため『変える勇気』が今こそ求められており、『政治』の営みを活性化させていこう」とメッセージを送っている。
青春の疾走感がいい。今の若い女性の仲間内の言葉遣いは、こんな感じなのか。「てかアタシも『おつかれさま』だわ」「葵! なんて言ったんだ! 白状しろ!」「だって、クリスマスイブの打ち上げで、第一声が『メリークリスマス』でもおかしくなくない?」・・・・・・。「・・・・・・すごすぎない?」「・・・・・・かっこいい。かっこいい以上に、すごい。メロディーもすごいし編曲もすごい。歌詞もすごいし、とにかく、その、すごい」といった具合。テンポのいい会話がどんどん続く。
啓栄大学附属女子高の室瑞葉がクラスメイトの三浦朝顔に誘われて、結成したバンド「さなぎいぬ」。朝顔はギター・コーラス、瑞葉はベース、加わった広瀬緋由(ドラムス)、柏葵(ボーカル)の4人。夢はいつか紅白に出ること。荒唐無稽に思われたとてつもない夢だが、朝顔が初めて作ったオリジナル曲「光」を聞いた瞬間、パンと目の前が弾ける。とても良い、抜群に良い。これならいけるかも・・・・・・。
最初は文化祭。緊張する。やがてスタジオ審査。「死ぬほど練習」する。「朝顔は天才。しかも努力もめちゃくちゃするタイプの天才。もう異次元」と思う瑞葉。そして群青モーメントファイナル・・・・・・。グランプリは取れなかったが、圧倒的な演奏をする。
天才的な朝顔。瑞葉は次第にバンド活動で、自らの才能の限界に悩むようになる。「辞めないでよ」「私やり切ったし」「やりきってないじゃん!」・・・・・・。「私は朝顔の友達だけど、それ以上に朝顔のファンだから。私の才能がないせいで、朝顔の可能性を狭めたくない」・・・・・・。
公認会計士になり、就職してからも心の古傷がうずく瑞葉。そして「さなぎいぬ」は新しくベースに小柴夢乃を加えた4人で紅白に出る。
「なんだかんだ言って、あの頃がいちばん楽しかったかも」「それはさすがに嘘。絶対今の方が充実してるでしょ」・・・・・・。「『光ってるんだ』今宇宙一光ってるんだよ私たち」「『光った』終わろうがなんだろうが光ってるんだよ。『光った』この光が私たちの意味だよ。『光った』音がまだ鳴ってるよ。『光った』私たちはたしかにに光ってたんだ」・・・・・・。
「光った」時もあり、鈍色の時もあるのが人生だろう。だが、青春時代の仲間は続くものだ。
「人生サボるが勝ち」が副題。立派で成功者の偉人伝が定番だが、成功の陰にあるサボリ、手抜きのいかにも人間味溢れる秘話が語られる。「窮屈な社会や生き方を緩める、23名の歴史人物をめぐる脱力エッセイ」集。ゆるい生き方、破天荒な人物もあり、愉快なエピソードが続く。
「頑張ってる感じが大事なフランクリン(勤勉であることよりも、勤勉に見えることが大切))「他人の才能を使いこなすジョブズ(ウォズが作ってジョブズが売る)」「サボるための発明・エジソン」「一攫千金を夢見て大損したニュートン(錬金術や投資に手を出した)」「ヒモのお作法・ マルクス(偉業の陰に常にエンゲルス)」――常識を逸脱した芸術家や実業家には、人間力が非常に高いパートナーが常に見え隠れする。
「何もしないことの効用・本田宗一郎(戦後1年、何もしないでブランクを作って考えた。長い人生、立ち止まって休むのも悪くない)」「成功は、メンタルが9割・高橋是清(何歳からでもやり直し。窮地に陥っても、自分にはいつか良い運が転換してくるものだと努力する前向きな人生)」「欠点を利点に変える再建屋・早川種三(人生寄り道、回り道だが、人脈の広さは凄かった)」「経営の神様・松下幸之助(みんながサボっても大丈夫な組織を作る)」・・・・・・。
「天才か狂人か・辻潤(谷崎、佐藤、北原白秋、萩原朔太郎など散々振り回された友人が守ってくれた。人生の生命線は友人たち))「才能は全てを解決する?石川啄木(繰り返す無断欠勤。結婚式もサボる。『はたらけど、はたらけど』どころか、『頑張りすぎないで、しんどい時は人に頼る、たかる』は異才が故に成立したこと)」・・・・・・。
「24時間働いた末路・坂口安吾(異常な仕事量にはヒロポン・覚せい剤)」――現代を生き抜くために、適度にサボれと指摘している。「1日3時間労働の怠惰な人・梅崎春生(かなりの量の酒浸り。酒飲みの1日は短い)」「世捨て人たちのハローワーク・吉田兼好と鴨長明(いつの時代も『鴨の水かき』)」「労働の外に出る・ダーウィン(金持ちで親ガチャ大成功)、ケインズ(100年後には週15時間労働で労働から人々が解放されると言ったが・・・・・・)、ハラリ(Aiが仕事を代替する社会へ・・・・・・)」――働くことの意味の問い直しと、人生の時間をいかに楽しむかというサボりの選択。「サボりに意味はない・シオラン(本当に働かなかった男。サボることが、自分をどこに導いてくれるかはわからない)」・・・・・・。
天才、奇人、変人は別なんだろうが、偉人の脱力秘話は面白い。人生は一本道ではなく複線。回り道も大いに結構。どうなっても皆、前向き、知恵で生き抜いていることは共通しているようだ。
