「トランプを生み出した思想家たち」が副題。アメリカ社会は変貌しており、「トランプは原因ではなくて結果である」と言われるが、「第一次政権の轍を踏むまいと、矢継ぎ早にディールを仕掛けるトランプの周囲には、様々な人物や勢力が集まっている」のは事実。「トランプを生み出した思想家たち」ではあるが、トランプ大統領が誕生し、活躍の場を得て、「トランプが生み出した思想家たち」でもある。帯には「アメリカを乗っ取った『危険な思想』の正体を明かす!」とある。衝撃的な内容だ。
リベラル・デモクラシーへの不信感は高まっている。そこで生まれ勢いのある「思想」。思想とまで成熟せず、イデオロギーや利害や雰囲気・感覚かもしれないが、新しいアメリカ思想が台頭している。「本書が主題的に扱っている戦後第3のニューライトは、まさにその内部にポストリベラル右派、ナトコン、テック右派、そしてオルトライトを突破口として表舞台に躍り出た極右主義などを抱える複数の潮流の集合体である」とし、その内幕とポストリベラリズムの右派思想の行方を象徴的な思想家、政治家、企業人に即して明らかにする。
現在のアメリカの新しい右派は、従来の右派とは異なり、アメリカの思想的な基底である古典的自由主義にも懐疑の目を向け、よりナショナリズムを重視し、よりキリスト教的価値を重んじ、よりテクノロジーを受け入れ、より極右との親和性を強めている。
「リチャード・スペンサー」――。ブラック・ライヴズ・マターやMe Too運動など左派の急進的な動きのなか、右の急進主義を束ねる「オルトライト(オルタナティヴ・ライト)」。その白人ナショナリストのカリスマがR・スペンサー。「軽めのオルトライト」が抜け、水面下に活動の軸を移しているが、トランプ登場のお膳立てとなった。
「1619年か1776年か」の論争。今年は1776年から250年。アメリカの成立をめぐる理解は、ますます左右入り乱れた乱脈の様相。
「ポストリベラル右派の躍進」。「ヨラム・ハゾニー」――。ナトコン(ナショナル・コンサーヴァティズム) (国民保守主義)を率いて、リベラリズムによらずに、ユダヤ教とキリスト教の伝統と価値に立脚した国民国家を掲げるイスラエルのシオニスト。
「パトリック・J・デニーン」――。ヴァンス副大統領の盟友で、ポストリベラル右派の旗手。アメリカの病弊はリベラリズムを根本的に放棄することでしか治癒できない。リベラリズムはアンチカルチャーの思想であり、個人の自律を可能にする徳の重要性、共同体の復権を求めている。「リベラリズムはなぜ失敗したのか」の著作。宗教保守にとってグローバル企業、パワーエリートへの懐疑と不信は大きい。リベラリズムとは、一線を画した国家のあり方、文化、道徳、家族を守る国づくり、移民拒否のハンガリーのオルバン首相を政治家として高く評価する。
「タッカー・カールソン」――。オルバン首相を評価する元「FO Xニュース」の名物ホスト。オルバンの見方は、「西ヨーロッパが向かっているのは善きガバナンスなきアナーキー」だ。「ロッド・ドレア」――。デニーン達と共に、ポストリベラル右派の宗教保守でハンガリーに「文化的な亡命」をしたイデオローグ。
「ピーター・ティール」――。Googleの中国接近を激しく非難した。テクノリバタリアンで、テクノロジーと反中国主義を信奉する「右派進歩主義」の首魁。「テクノロジーが脅威ではなく、停滞こそ脅威」であり、テクノロジーへの不信や未来への希望の喪失は、「今我々は無神論的悲観主義」に陥っていると言う。そして「科学とテクノロジーは、西洋的楽観主義にとって自然な同盟である」と言っている。
「ルノー・カミュ」――。非ヨーロッパ移民の流入を征服であり、「大いなる置き換え」とするフランスの極右思想家。それは「大いなる文化の剥奪」であり、本物が紛いものに取り替えられていくと言う。そして「大いなる置き換え」現象を引き起こしているのは、巨大なテック企業、巨大な金融投資をしているファンド企業、ダボス会議に集っている巨大なグローバル資本である(ダボクラシー)と言う。
「マーク・アンドリーセン」――。「テクノ=オプティミスト宣言」を出した加速主義者。右とか左ではなく、敵は「停滞」である。
これらの思想家とともに副大統領のJ・D・ヴァンス、ケヴィン・ロバーツ、イーロン・マスクを紹介し位置づけている。アメリカの政治の背後にある社会と、その思想は激しく動いている。
これまでの人生で「民度」という言葉を使ったことはおそらくない。「『市民』としての成熟度」「経済の成熟、生活の豊かさ、教育水準の高さ、道徳・倫理の高さ、文化・教養の深さ」などの総合的レベルをいうが、「民度が政治的な文脈で頻繁に用いられている実態があり、民度と政治の間には密接な関係がある」と言う。本書は、「民度概念の分析を通じて、日本の民主主義の現状と課題を明らかにする」を目的とする。
政治を取り巻く環境は、世界的なポピュリズムの跋扈と攻撃的なSNSによる慌ただしい言論空間の形成によって激変している。A I・デジタル社会の急進展は社会を劇的に変え、政治は翻弄されている。民主主義は危機にさらされ、日本では既成政党が苦戦を強いられ、左右の新興勢力が台頭する多党化時代に変貌している。それを担うのは、昔も今も国民そのもの。本書は「民度」という切り口で、民意の「現在地」を描き出すとしており、「分極化時代の日本の民主主義」が副題となっている。
民度の高低の判断基準は、「ルールの遵守」「マナーへの配慮」が高く、「協調・協力」「清潔さ」「素養・教養」「政治関心・参加」が続く。本書は「民度は政治的な性格を多分に含む概念」とし、「人々が持つ党派性によって、政治的属性の効果が大きく異なる実態」を明らかにしている。
「民度と投票率」――投票参加は参加コストの影響を強く受けている。昨今の政治家や政党による動員力の低下は、投票率を低下させているが、1990年代に行われた選挙制度改革が、意図せざる帰結して投票率の低下をもたらしている。民度ではない。
無党派層は1990年代の相次ぐ政党の離合集散によって急増した。「党派性と意思決定」については、「日本は政党に対する情緒的な結びつきが強い」傾向にあるが、「極端な形で党派性が意思決定を左右する事態に陥ることがある。適度な距離を保ちつつ、政党ないし自身の党派性とうまく付き合っていくことが肝要。のめり込むのではなく、自身の中でうまく党派性を操縦していく感覚を身に付ける必要がある」と言う。
若年層の投票率は相変わらず低い。政治関心は18歳選挙権でも変わらず、見た目で投票するなどと言われるが「若年層も政策に基づき判断している」ようだ。判断能力を高めることが大事だが、タイパ、コスパのSNS時代。更なる検討が急務だと思う。
民主主義を支える国民の総合的な判断力。「哲学不在の時代」などという言葉自体が消え、押し流される今、「民度」「人間の判断力」「人間力」をどう培うか。問いかける問題は、あまりにも大きい。
とにかく、めちゃくちゃ面白い。シジュウカラに言語能力を発見し、動物たちの言葉を解き明かす新しい学問、「動物言語学」を創設、世界的に絶賛されている著者。「シジュウカラには言葉がある。空にタカが現れたら『ヒヒヒ』と鳴くし、ヘビを見つけたら『ジャージャー』と鳴く。仲間を呼ぶ時は『ヂヂヂヂ」だし、警戒を促す時は『ピーツピ』だ」と軽井沢にこもって徹底調査した結果を学会で発表する。驚天動地とはこのことだ。「動物たち何をしゃべっているのか」(山極寿一・鈴木俊貴著) を2年前に読んだが、今回は著者単独の著作。
「アリストテレス以来、『動物の鳴き声は、快か不快かを表すに過ぎず、人間の言葉のように意味を持つものではない」「動物の鳴き声は喜びや怒りといった感情を伝えるだけだ。言語を持つのは人間だけである」と言うのは、2000年以上にわたる人類史上最大の誤解だと論証する。
研究を進めると、「ヒナがまだ幼く羽毛が生えていない時期であっても、親はヘビを見つけると『ジャージャー』と鳴くことがわかった。これは、ヒナの脱出を促すというより、つがい相手にヘビの存在を知らせるために鳴いている。ヘビ見たときにだけ、『ジャージャー』と鳴く」と言う。「ジャージャー」はヘビを示す"名詞"のようなもの。すごい発見である。そしてシジュウカラは文を作る。「ピーツピ・ヂヂヂヂ」は「警戒して・集まれ」というニ語文で、「モズなどの天敵を追い払うため、仲間を集める号令なのだ」と、作文能力の存在を証明している。そこに至る研究努力たるや、凄まじいものがあり、感動する。
さらに、シジュウカラ語の「ピーツピ・ ヂヂヂヂ」の「ヂヂヂヂ(集まれ)」の部分をコガラ語の「ディーディー(集まれ)」に置き換え、「ピーツピ・ ディーディー」というシジュウカラとコガラの混合文を実験をしたところ、シジュウカラは理解できたと言う。「ルー大柴のルー語を通じて、世界で初めて動物も文法能力が解明される」ことになったわけだ。執念と発想に驚嘆する。
親鳥がヒナに餌をやる時、翼をパタパタ小刻みに震わせ、「お先にどうぞ」とジェスチャーをすることも発見している。鳥が種をつつく時に頻繁に空を見上げるが、天敵を警戒していると言う。
とにかく面白くて楽しい。「動物たちの豊かな言葉の世界を共に解き明かそうではないか!」「AIでもどうしても得られないものがある。それは、僕たち自身と自然との関わり合いの中から生まれる、世界についての新たな気づきや発見である。だからこそ、自然観察は楽しいのだ」・・・・・・。
世界的に右傾化が指摘される。国家を守れと言っても、国民を守れ、人間の尊厳・生命の尊厳を守れとの声は後景に退いているようだ。ポピュリズムが跋扈し、それにS NSが加わり、攻撃的な荒れた言論空間が目立ち始めている。ロシアがウクライナを侵略して約4年――。世界で、戦火が続き、各地で緊張が高まっている現実がある。
戦後80年――。「何が人々を戦争へと向かわせたのか」「ジャーナリズムの原点は『命』である。その『命』がいとも簡単に、そして無惨にも失われたあの戦争は何であり、なぜ戦争に走ったのか」を問いかける意義は重い。人間の「命」を見つめ、戦争と防災・減災の現場を歩き続けてきたジャーナリストである著者が、「戦争は、ひとつの『狂気』からはじまる」ことを訴え、警鐘を鳴らす熱量あふれる著作。
「狂気」の姿を、現場の濃密な取材の中から浮き彫りにする。「ベニヤ板で作られた水上特攻艇『震洋』」――訓練段階で自爆が多く、命を落とした特攻隊員の若者は、なんと2557人。米軍は「自殺ボート」と呼んだ。生き延びた隊員は戦後、ずっと「罪の意識」を引きずって生きてきた。「潜水特攻『伏龍』」――本土決戦で敵上陸部隊の舟艇を水中から棒でついて爆発させる人間機雷。まさに「狂気」だ。
「戦争に狂わされた、世界ランク3位の早稲田大のテニス選手」――佐藤次郎はデビスカップに向かう途中、国威発揚の苦しさで、船から投身自殺(1934年)。佐藤は「庭球は戦争也」と表現した。時代の狂気が選手に重くのしかかっていた。著者のテニス部の先輩。
「無謀な煙幕作戦 原爆が落とされるはずだった小倉で罪の意識に苦しむ市民」――煙膜作戦が終戦直前に八幡などで行われる。原爆を積んだB29は長崎へ進路変更。国民の命より国家が優先される戦争の狂気。防衛費増が武器だけであってはならず、国民を守るのが安全保障の基本精神であるべきだと言う(石破前首相とのインタビュー)。
「プロパガンダに利用された『のらくろ』」――戦争も軍隊もなんのその、とばかりに、自由奔放、飄々と振る舞う「のらくろ」の破天荒さが次第に奪われていった。1938年、国家総動員法とともに「のらくろ」は「用紙を使いすぎるな」と中止される。戦争は文化そのものを侵し作家の運命を翻弄した。
「愛郷無限----本当の愛国とは何か」――梶山静六の中にある「母親の涙と反戦主義」「戦争はやっちゃいかん」「愛郷無限」「有事法整備をしても、同時にそれを行使しないためにどうするかということが政治の責任。それは外交。どんな外交をやるかを法整備と同時に進めて実行すること。セット論だな」・・・・・・。戦争を起こさないためにどう闘うか。
「戦争というのは『正義』と『正義』の対立で起きる。その対立のなかで、客観的で、中庸で、良識的で、知性的で、何より平和主義者こそが入っていって仲裁するしかない」と言う。今最も重要な「戦争を起こさない」「軍備増強のジレンマからの脱出」を、憂慮ではなく、示唆する思いを込めた優れた著作。
2026年のNHK大河ドラマは、秀吉の弟・秀長が主人公の「豊臣兄弟!」。秀長は、「天下一の補佐役」「卓越した実務能力と抜群の調整能力・統治能力を持つ日本史上屈指のナンバー2」「大名の信頼も厚い戦国最高のナンバー2」と言われる。天正19年(1591年)の1月、2月、秀長と利休が相次いで死ぬ。「聞く耳を持たぬ」存在となっていた秀吉に直言することができたのはこの2人だけ。「秀長が生きていれば、豊臣家の天下は安泰であった」と言われるが、その死が豊臣家を衰退させる分水嶺となったと実感する。本書は「バックグラウンドがない状態から天下人となった豊臣秀吉。その分身として結果を出し続けた秀長の『セミの兄弟』の生涯」の実像を史料と最新研究をもとに描いている。大激動の天正年間を俯瞰的に描くだけでなく、「この兄弟に天下を獲らせた『処世術』を示す」という角度を加えた有意義な著作。
「豊臣兄弟の謎」――。戦国時代の兄弟は、血で血を争うライバルで「補佐」「代理」は当たり前ではない。2人は「異父兄弟」「秀吉は養父とうまくいかなかったようで、16歳で実家を出る」「浜松で山伏の頭領・ 松下加兵衛の下に」「尾張に戻り織田信長に仕える」「秀長は長秀と名乗っており、信長の親衛隊の馬廻衆に」・・・・・・。「秀長」としたのは、小牧・長久手の戦いの最中で、織田家から羽柴家(もう俺たちは織田家の下ではない)との宣言だと言う。なるほど。
「類まれな経済センス」――。「秀長の一次資料は20点のみ(秀吉は生涯におよそ7000通の大量の書状)」「秀吉も黒田官兵衛も『世上をする』人で、他と交流・外交に非常に長けていた」「明智光秀は四国外交を担当。本能寺の変は信長の四国外交の方針転換が有力(四国説)」「戦国時代に活躍した『世上をする人』の中で、最も成功した人物は秀吉。対中国地方外交は、秀吉・秀長兄弟の跳躍台となった。毛利を抑え、摂津・播磨を勢力下に置き、瀬戸内海を『織田の海』にして、本願寺を孤立させる(黒田官兵衛を、秀吉の外交官、参謀にした)」・・・・・・。
天正5年に生野銀山を手中に。そして天正6年から日本史の転換点となった三木合戦で勝つ。武人としての秀長の働きと、秀吉軍のスピードで「天下取り」の飛躍となった。さらに三木合戦で進化した軍事土木技術と物流・情報ハイウェイ。これらが天正10年、本能寺の変で中国大返しとなる。「光秀は本能寺に行っていなかった」と言う。「秀吉の判断の速度、それを支えた秀長の持久力が天下を決した」と言う。
「天下人への道」――。「天下人を決めた小牧・長久手の戦い」「秀吉・家康会談。度胸の良さ、自尊心をくすぐる天才(予告なしでやってくる、ボディタッチをする、包み隠しないように語る、自ら酌をする)」・・・・・・。
「秀吉の『分身』」――。天正13年6月の四国征伐の総大将が秀長。その9月には、大和と紀伊のニ要地を任される。大和は技術大国だった。また豊臣兄弟、の「官位による大名操縦」「懇切を極めたおもてなし」、そして秀長の「実直な人柄、誠実さ」が人の心をつかみ、人を動かした。
「豊臣家は兄弟が揃っていた時は上り坂で、秀長が欠けてからはずっと下り坂だった」「秀長なくして秀吉はなかった」と結んでいる。
