「超少子高齢化、移民、一極集中」が副題。「自分の子どもを幸せにする自信がない。結婚しない。子供を持たない」――そんな諦めが、韓国の若者には広がっていると言う。日本と共通の課題に直面している韓国の現在を徹底取材する。
まず、「出生率0.72」の世界でも異例の速さで進む少子化。「ノーキッズゾーン」と「塾ぐるぐる」――子供を持つことは「負担」で、激しい入試や就職(良い大学、良い就職先)に「勝ち抜ける」子供を育てるのは大変。非婚主義の女性が急増。「子どもを持つことで、自分の人生を犠牲にしたくない」「大家族でみんなで一緒にという文化が1人ポッサム、個人化が進んでいる」と言う。「子育て女性は職場に迷惑。韓国の少子化は女性差別が根本的原因」「良い教育、良い就職の競争圧力が、若い人たちを追い詰め、自分一人でやっていくのが精一杯(特に女性への圧)」となっているようだ。
超高齢社会にもなっている。儒教の「敬老精神」も変化、日本より社会保障が遅れた(日本の国民年金は1961年、韓国の国民皆年金は1999年)。長年の「65歳から地下鉄無料」が論争になっていると言う。
「進む移民政策」――外国人労働者の賃金は日本より良い。熟練度が低い外国人労働者の月給は28.5万円(日本の技能実習生21、7万円、特定技能23.5万円)。日韓の争奪戦だ。地方で5年働けば永住に道、特別ビザが集める移民。たし不法滞在者は日本の5倍にも。
「インソウル」――とにかくソウル首都圏に人口の5割。第二の都市釜山はこの30年で50万人減の330万人に。皆が、「ソウルの大学に行って、良い就職を」となって、地方に残ることは「失敗」。
「『プライド』と『世間体』――就職難の若者を縛るスペック至上」「『ブラックホール』のソウル、吸い寄せる人材」――。少子化、高齢化、移民、一極集中など、いずれも時系列はちょっと違っても日韓共通。連携が大事となっている。
「絵師の一念、憂き世を晴らす 仏画、絵巻、浮世絵、美に魅了された人々の営みを描いた歴史小説集」と帯にある。5つの小編は確かに絵師が物語の中心となっているが、逃れられない困難と宿命の中で、凛とし生き抜くしっかり者で賢い女性の勁さに圧倒される。
「さくり姫」――。頼朝が、屋敷に仕える女房を寵愛し、子まで孕ませたこと(亀鶴丸)に北条政子は激怒する。頼朝の妹・有子(藤原能保の妻)は難しいことを迫られると、しゃっくりが出て「さくり姫」と言われるが、出家させられ上洛する亀鶴丸を守ろうとするのだが・・・・・・。実は政子は、殺すどころか、道中の警護も命じ守ろうとしていた。「政子さまはお子の無事を強く願っておられた。亀鶴丸の上洛・出家が決まると、これで少年の身は安泰だと喜び、道中の警護を命じた。嫉妬ではない。弱き者が憂き目を見る、この世の辛さを知っていればこそなのだ」「女子とは、どんな宿命に襲われたとて、逃げることも戦うことも許されず、ただ迫りくる困難に向かい合うことしかできぬものじゃ」「政子の激しい気性の底に潜む悲しさを知っていたであろうか」「あのさくりの姫君と政子さまは、ある意味では、似たもの同士でおられたのよ」・・・・・・。「政子さまは、せめてそんな辛い目に遭う女子が減るようにと思うておられるのに、頼朝さまは知らぬ顔。挙句、様々な女子と通じ、亀鶴さまというお子まで産ませてしまわれた」・・・・・・。北条政子の凄さが伝わってくる。
「紅牡丹」――。古くからの大和国国人・ 十市氏の娘・苗はわずか9歳で、松永弾正久秀の多聞山城に人質として入る。母お駒が是非にと持たせた庭にあった緋牡丹の株。しかし何年たっても葉は繁っても花が咲かない。「なぜ母は牡丹だけ持たせたのか」「なぜ花が咲かないのか」――そこには、母の深い思い、深謀遠慮があったことを知る。苗は東大寺大仏殿焼失のその日、城を脱出する。歴史の中にある人の思いと真実。子を思う母の心は深い。
「輝ける絵巻」――。徳川秀忠の娘・和子は、今は後水尾上皇の女御。豪商と思われた宗連が四辻季賢に持ち込んだ「源氏物語」の新絵巻制作。「まだ気づかぬのですか。新絵巻の願主は、このわたくし。諸芸の中枢たるこの禁裏にふさわしい新たな絵巻を作らんがため、出雲守に委細を任せたのですよ・・・・・・」「(白河院さまの絵巻)あれはわたくしが京に嫁ぐに際し、父上さまからいただいた絵巻です。父上さまによれば、大坂落城の折、蜂須賀家の者が火中より救い出した品とか」・・・・・・。「女房が、亭主の文句を言うんも、夫の身を案じればこそ」「女院は禁裏そのものの権威を高めると共に、夫が目指す学問による公儀の復権を新たな絵巻で助けんとしたのではないか」・・・・・・。包むように、因習に囚われた禁裏で夫を助けようとする和子。大きく広い女性の海のような心に包まれる。
「しらゆきの果て」――老境に入った浮世絵師・宮川長春は、師匠の菱川師宣の息子が落ちぶれたのを知って助けようと動く。弟子の喜平治は長春を助けようと刃傷沙汰に及ぶ。「おめいは立派に仇を取ったんだな」「(遠島になるが)澄んだ陽差しは二人の影をにじませ、それが不思議にあの雪の夜、春賀の屋敷へと向かう道中に、吹き荒れていた雪を思い出させた」・・・・・・。「しらゆきの果て」だ。
「烏羽玉の眸」――。興福寺の末寺の内山永久寺。廃仏毀釈で、住職がお坊さんを辞めて神職になると言う。院主の独断専行。その日、肉食飲酒の禁をあえて破ろうと鹿を採って食べる。「きらりと闇に光るその双眸が、朽ちた寺を小さく照らす様が見えた気がした」・・・・・・。
5つの小編、いずれも中身が濃く、読み応えがある。
姜尚中さんのエッセー集「生きるコツ」「生きる意味」に続く「生きる」シリーズ第3弾。人生における折々の人や場所、風物との「出会い」を味わいながら生きる。優しさと深さが穏やかに伝わってくる。喧騒の中を周りを見ることもなく突っ走ってきた者として、本書のおかげで道端に咲くツツジに感動し、思わず写真に収めた。
スタンダールの「生きた、書いた、愛した」を思えば、姜尚中さんは「生きた、悩んだ、出会った」が、人生を要約する言葉だと言う。「出会い」は歓びであり、「『出会い』の多くは、人生の折々に予期せず訪れては『生きる』力を分け与えてくれたように思える」と言う。良き師匠に出会ことができ、良き友に出会えることほど幸せなことはない。良き仕事もそこから得られる。「生きる証し」である。
「『薫陶』という言葉(私を政治思想史研究に導いてくれた藤原保信先生)」「『先生』としての伊集院静氏」「街中の高原」「現代のシャーマン(ノーベル文学賞ハン・ガン、歴史の痛みとそのトラウマに寄り添い続ける語り)」「犬・猫との共生(蒲島熊本県知事の強い意向の『アニマルフレンズ熊本』)」「写真嫌い(泥に埋もれた写真、立谷相馬市長の『籠城宣言』)」「飲み込む力(ハシカベ体操)」「世界の不幸と小さな幸せ(ジョナサン・グレイザー監督の映画『関心領域』)」・・・・・・。静かに心に染み込んでくる。
「テレビよ、さらば(テレビは『生もの』を扱うメディアだが、ネットの定かでない情報や、過激な論調に押され、その場限りの『生もの』に飛びつく傾向がますます強くなってるように思える。古希を節目に『活字の世界』に専念したい)」「スマホを捨てよ、田園に出よう(寺山修司に倣って)」「息苦しさの正体(夏目漱石の『草枕』、息の詰まるような時代の到来を漱石は100年も前に見抜いていた)」「生と死の近さと遠さ」「檸檬(梶井基次郎の「えたいの知れない不吉な塊が、私の心を始終押さえつけていた」)」・・・・・・。
「『程良い加減』で生きることが最も自分らしいということである」――「朝生!」で知り合った大島渚さんの妻で女優の小山明子さんとの対談が収録されている。
「人間教育」に全てを注ぎ「教育の本道」を示し続けてきた梶田叡一先生の教育哲学、人間哲学の書。教育に携わる教師、教育行政関係者はもちろんのこと、すべての人に必読の書。
「教育の最終的な目標は、一人の人間として自立し、世の中を生きる力と、自らの人生を生きる力を身に付けることです。そしてその成果は、主体的に、深く豊かに生きることができるかどうかで確認されることになる。まさに人間教育こそが、教育の歩むべき本道と言ってよい」と言う。「教育の深さが日本の未来を決定する」と私は教育基本法改正案の衆議院本会議で発言したが、喧騒の時代、SNS時代、言葉も軽く攻撃性に満ちた時代であればこそ、「人間教育」「教育の本道」が重要だと思う。
「我の世界と我々の世界」「我の世界を生きる力を」「生きる力の土台となる健全な自信とプライド」「我々の世界(社会)を生きる力も大切だが、我の世界を生きる力こそ」・・・・・・。
「子供たちの目がキラキラ、みんなイキイキ、ではどうにもならない(そうした外的現れのレベルでなく、内的世界へのこだわりを(実感・納得・本音に基づいたものを)」「素直さを越えて知的な『渇き』を」「没頭体験、良い本との出会いを。達成感・効力感を持たせたい」・・・・・・。
「基盤となる言葉の力を」「聴く力、書き表す力を」「直感と共感を超えた言語論理教育への注目と理解を(P I SAショック直後の文科省の言語力育成協力者会議の座長が梶田先生)」「概念・根拠・論理へのこだわりを(最近の「やばっ!」「可愛い!」などの単純表現の多用は嘆かわしい)」・・・・・・。特に学習指導において、「開示悟入」を提唱する。仏法でいう開示悟入の四仏知見だがよくわかる。
「真の道徳教育を実現していきたい」「生命の重さの実感を」「学校でも宗教的な伝統や文化の教育を」「日本の伝統・文化を学ぶ」――。教育基本法で正確にうたってている通りである。また「空と他力を学ぶ」「無常だからこそ」を取り上げ、「はかない世界ではあるが、それを前提に私はグィッと前進していくぞ」の姿勢を訴えている。
豊かさ故の精神的弛緩と慎みのなさを指摘、「品格ある日本人の育成を」と提唱する。「人間力」が重要だが、OECDの「コンピテンシー(脂質・能力)」について、「『我々の世界を生きる力』だけでなく、『我の世界を生きる力』に関わる点が、『人生設計や個人的計画を作り実行できる力』という形で注目されていることは評価できる。しかし、ここにも『総合的な人間力』の基盤となるべき『人間としての育ち』を実現する上で大事な点の見落としが残っている」と重要な指摘をしている。そして「人間としての育ち(人間力)」として本質的に重要なものとして、「強靭な主体性の確立」「深い共感協働性」「本源的自己への立脚」の3つが不可欠であると結論している。まさに「人間教育」は「人間哲学」であり、今こそ「人間教育」だとつくづく思う。
7月3日に公示を迎える参院選(7月20日投票)――。暑い日差しとなった6月28日(土)、公明党の川村ゆうだい党青年局次長(参院選予定候補=東京選挙区)が街頭演説。赤羽駅東口、池袋駅西口に私も参加、多くの方に参加いただきました。
川村ゆうだい氏は、外科医、医学博士、党青年局次長、ちょうど今日(29日)が誕生日の41歳。「心に青空が広がっているような好青年」と会う人がみんな好感を持つ情熱溢れる若き力。山口那津男元代表(参議院議員)の後継者として、東京選挙へ初挑戦。
「山から川へ、川から雄大な海へ」「政治にメス」「いのちを守る力、無限大」「若き世代の希望を形に」――。川村ゆうだい氏の医療改革への叫びは心揺さぶられるものでした。私も、コロナ禍の医療現場で戦い抜いた実績と爽快な人柄を紹介。直面する人口減少・少子高齢社会では、「新しい医食住」への改革・挑戦が重要。介護・医療とその担い手はますます大切になると強調、川村ゆうだい氏に力を与えてほしいと訴えました。
「山から川へ、川から雄大な海へ」――川村ゆうだい氏への期待は大です。