冷酷な宿命的苦難を抱え込んだ4人の若者たち――チェスの面白さに魅入られ覚醒し、己の全てをかけて盤上の戦いに挑む。命を燃やすものを見つけた若者たちの奇跡の物語。若者のひたむきさとエネルギーが、心に迫ってくる感動小説。
小学生の望木透は筋肉が硬直する難病で入院生活を送っており、楽しみにしている学校行事にも行けず、癇癪を起こす日々。そんな時に小児病棟でチェスに没頭する輝に出会う。有名進学高校のチェス部の実力者・樽山晴紀は、プロを目指すかどうか悩んでいた。そんな時、チェス部の部長の瑠偉(透の入院仲間だった)に合コンに誘われ、進学塾の時に好きだった真紀と衝撃的な出会いをする。二人はチェスを通じて恋人となり、やがて結婚する。
生まれつき全盲の多川冴理は、母親にピアニストになるべく特訓の毎日を押し付けられ挫折。「あの日に終わったの。ママの中で。あなたは」とまで言われ、いつか「ママは、わたしの中で、終わってるから」と言ってやろうと人生をかけての復讐心に燃えている。そんな時に盲学校の先生の紹介でチェスとの出会いがあり、樽山が大人になって夫婦で開いたチェス喫茶に通うことになる。
天涯孤独で施設で育った釣崎信生は荒れていたが、樽山に暴行したことからチェスに触れる。単身でアメリカにわたり日本人として唯一のGMになるが、マフィアのドンとチェスの勝負をすることになってしまう。
それぞれ厳しい人生を送ってきたこの若者4人が、瑠偉が仕掛けた賞金1億円の日本のチェスワングランプリに挑戦する。それぞれの思いをかけ、しかも透は癌にもかかり、命をかけての壮絶な戦いになる。「賞金か。名誉か。意地か。違う。こいつはチェスが好きで好きでたまらないのだ。チェスを指している間しか、生の喜びを得られない。そういう人間の顔はわかる。・・・・・・チェスに取り憑かれた奴と出会うのが、何よりも嬉しい」「チェスがこいつの命を支えてるんだよ」「てめえは生きることを諦めてやがる!そんな奴に俺が負けるかよふざけんな!」「勝つために治せ」・・・・・・。
凄まじい人生の宿業と希望の閃光、熱い人間ドラマに、思わず「頑張れ」と声援を送る。
(エヴァーグリーン・ゲームとは、1852年にアドルフアンデルセンがジャンデュフレーヌを絶体絶命の窮地から逆転し、勝利をした有名なチェスの試合)
「安全保障入門」というが、ついこの間まで内閣官房副長官補、国家安全保障局次長であった兼原さんだけに、極めてリアル。現在日本の抱える安全保障の現実と諸問題について、言葉は優しいが、指摘は率直でズバっと鋭い。昨今のロシアによるウクライナ侵略、米中対立、グローバル・サウスの台頭、猛スピードで進む技術革新・サイバー攻撃・・・・・・。世界の安全保障環境は激変しており、日本は「国民を守る」ために、リアリズムに徹して安全保障、抑止力を考えなければならない。そして日本は、人類が苦難のなか築き上げてきた自由主義社会を守り、それをグローバル・ サウスに広げていくリーダーになるべきである。そのためにも、戦後左翼の「非武装中立」的な残滓と決別しなくてはならないと言う。
「日本の安全」――キッシンジャーは「日本は法的には西側の一員であった。けれども実態は冷戦のイデオロギー対決に参加しなかった(名著「国際秩序」)」と言ったが、吉田、岸以来の「西側の一員」という立ち位置を中曽根総理が明確にした。「基盤的防衛力、必要最小限」の防衛は無意味だ。
「価値観の外交時代」――自由、民主主義、法の支配といった普遍的と思われる価値観に基づいた外交が重要であり、権力者の意思がそのまま法であるという独裁思想は「法の支配」とは全く違う。「グローバル・サウスと自由主義的国際秩序」――植民地にされたアジア・アフリカの国からすれば、先進民主主義国家こそ、肌の色で人間を差別し、人権を蹂躙し、主権と尊厳を奪った国々だったではないかと思っていることを見逃してはならない。日本人といっても、世代による価値観の違いがあり、戦後すぐの世代は平和主義とマルクス主義の影響が強く、独特の歴史観を持っている。そして兼原さんは、「価値観外交と戦後70年総理大臣談話」を思いを込めて語っている。よくわかる。
「安定と安全がもたらす国際社会の平和」――安定と安全は異なる。安定は、国家間におけるバランスを図ることで、秩序が不安定化しないようにすること。アイデンティティーとナショナリズムがなぜ必要となるのか。「対中大戦略の構築」――中国とどう向き合い、どう国際的な安定を図っていくべきか。「台湾有事にどう備えるか」――日本とアメリカが対処すべき「核の恫喝」。緊迫のなかで語られる。
「安保3文書と国家安全保障会議」――日本が国内冷戦の分断に翻弄されて、国家としてきちんとした安全保障戦略を策定してこなかったのは、手品で外交をしようとするのと同じで恥ずかしいこと。基盤的防衛力構想が消え、国家防衛戦略の大転換が行われた。「新しい戦場」――サイバー空間と宇宙空間は注力すべき分野だが、日本が諸外国に遅れている分野でもあり、法・組織・人材の見直しが求められている。サイバー防衛隊を抜本的に増強せよ。
「日本の領土問題と尖閣諸島」――北方領土、竹島、尖閣諸島をめぐる歴史的経緯が語られる。海上保安庁の態勢強化に尽力していただいた兼原さんの思いが、行間から伝わってくる。「自由主義貿易の未来と地政学」――揺らぐ自由主義貿易体制と半導体。「経済安全保障」――安全保障と科学技術が日本は完全に分断されている。防衛産業の活性化、半導体産業の再生やエネルギー、食料の確保など経済安全保障の推進が重要。
「入門」どころか、外交・安全保障の現在の課題が、背景、それぞれの国の歴史と思考形態、地政学等を踏まえて鋭角的に語られている。
京都の風物詩でもある12月の全国高校駅伝。8月の大文字焼き。学生時代過ごした京都の街、学生さんに優しかった京都の街あっての青春小説。実感が蘇る思いだ。青春小説だが、死者と生者が京都の歴史の中から入り乱れる。
「十ニ月の都大路上下ル(カケル)」――実に27年ぶりに女子全国高校駅伝出場となった高校の1年生で補欠の坂東(サカトゥー)。突如、ピンチランナーとして走ることになるが、絶望的に方向音痴。周りの励まし、同じ区間を走ることになった他校の選手への競争意識、走る途中に、新選組のような者が現れて・・・・・・。
「八月の御所グラウンド」――暑い暑い京都の8月。高校からの同級生・多聞に頼まれ、頭数を揃えるために、草野球チームの試合に参加することになった4回生の朽木。早朝の御所グラウンドで「たまひで杯」を争うことになる。9人が揃わないと負けになるので人集めに四苦八苦する。そこで出会った3人に助けられるが、その正体とは・・・・・・。戦争で肩を壊し戦争に散った沢村栄治。1943年11月20日、私も懐かしい「農学部グラウンド」で行われた「出陣学徒壮行式」(明治神宮外苑で行われた壮行式の約1ヵ月後)。皆、「野球をやりたい」と70余年後に御所グラウンドに現れたのか・・・・・・。
むき出しの原自然、獣たる人間の生死、息づかいが迫ってくるど迫力の小説。衝撃的な「颶風に王」に始まり、「肉弾」「締め殺しの樹」と、河崎さんの北海道原野における人間と獣の業と悲哀をめぐる作品は、いずれも凄まじい。
明治後期、北海道の雪に閉ざされる山中で、犬を相棒に猟師というより獣そのものの嗅覚で熊や鹿などと対峙し、ひとり狩猟をし生きてきた熊爪。ある日、熊に襲われ負傷した男に出会う。男を襲ったのは冬眠していない熊「穴持たず」。熊爪は怒りに震える。「ふざけるな。ふざけるなよ、おめい」「この熊を、許さねぇ」「手負いであること、よそから来た穴持たずであること、太一を傷つけたこと。全てを忘れて、怒りを紙縒りのように細く硬く尖らせ、熊爪は銃身を握りしめた」・・・・・・。
「穴持たず」を追うが、若い赤毛の雄熊と「穴持たず」の戦いとなり、そこに熊爪と犬が加わる。「赤毛」が勝ち、熊爪は重傷を負う。天井板を眺めながら熊爪は声にならない声を吐き出す――「熊にも、里の人間にもなれず、猟師でいられない俺は、いま、何者だ」・・・・・・。再び山に戻った熊爪は、回復に苛立つ心を抑えて「赤毛」を狙う。そして倒す。「こんな熊、いるのか。すげえな。大将だ。おめい」・・・・・・。
白糠の町で熊爪を助けてくれていた良輔、その屋敷に住んでいた盲目の少女・陽子。ロシアとの戦争に向かっている日本は、北海道に大きな変化をもたらし、良輔の家も没落する。「国も戦争も人の世も、全て関係ないと。仙人のつもりか!」「赤毛をば、でかくて、若い熊、撃って。そん時殺してもらえねかった。・・・・・・だから人にも熊にもなれんかった、ただの、なんでもねぇ、はんぱもんになった。でもそれでいい。それで生きる」・・・・・・。
自然と人間、獣と人間、生と死――そのあわいそのものを生き、死に場所を求める男を描くなか、人間とは、幸福とは何かを根源的に問いかける凄絶な作品。
「日露戦争とは何であったか」「ロシア、イギリス、日本の陸軍、海軍の思惑は」「旅順攻略戦、奉天会戦の実態は」「乃木将軍は愚将であったのか」「司馬遼太郎が描く『坂の上の雲』は史実か」「日露戦争(陸戦)の本当の功労者は誰か」――これらを徹底して剔抉する。「『坂の上の雲』は陸軍の旅団長と海軍参謀の兄弟の物語、すなわち少将と中佐の手柄話である。しかし日露戦争に従軍した日本人の多くは、無名な一介の兵士たちである。・・・・・・召集され、命じられ、行軍に喘ぎ、泥水をすすり、脚気や凍傷に苦しみ、堅牢な要塞に突撃して斃れ、厳寒の満州の荒野に屍を晒した八万八千余の将兵一人一人の戦死の様子を、彼らの視点から記録しておきたいと、私は願った」と言う。
「恐ロ病が生んだ嫌ロ感情(三国干渉で生じた敵愾心)」「義和団事変」「満州を占領したロシア軍の脅威(ロシア軍の満州占領長期化、伊藤博文の日露協商論、クリミア戦争とボーア戦争、日英同盟成立)」「開戦への道(日露間の疑心暗鬼を昂じた偽りのイギリスのデュカット中佐報告書、クロパトキン来日、日露交渉決裂)」「日露戦争の緒戦(旅順口水雷夜襲攻撃、金州・南山の戦い)」「海軍が旅順占領を要請(焦る海軍と急ぐ陸軍)」「旅順第一回総攻撃の失敗」「旅順第2回総攻撃(ナマコ山を占領しロシア軍艦を攻撃、ドイツ・メッケル軍学の陥穽)」「旅順攻略(児玉源太郎が東北正面攻撃を主張、203高地へ攻撃目標を転換、秋山真之への乃木司令部の怒り)」「遼陽会戦(即時追撃を主張した参謀井口省吾、名参謀松川敏胤)」「沙河会戦(クロパトキンの大逆襲、花の梅沢旅団)」「奉天会戦」「東郷平八郎の日本海海戦」「乃木希典の自刃」の各章。現場の生々しい実態、史実を鋭く描き出す。
「戦功は黒木為楨大将、奥保鞏大将、野津道貫大将らと、彼らの薫陶を受けた藤井茂太少将と落合豊三郎少将、それに伊地知幸介少将、松川敏胤大佐らにあり、なかんずく最優秀者は乃木希典大将である」「旅順攻略の原動力になったのは、児玉ではなく、乃木の人格である。乃木はは愚将でも無能でもない」「要するに乃木軍の旅順攻撃は『焦る』海軍と、『急げ』と言う参謀本部に振り回された、矛盾だらけの作戦計画だったのである」「特に金州・南山戦、203高地攻防戦、奉天会戦と休む間もなく、最大激戦地へ投入され、最も過酷な運命を担い、最も激しく消耗した東京第一師団の将兵の間に、戦争で働き手を失った農家の筆舌に尽くしがたい窮状と、陸軍上層部に対する根深い不信が語り継がれた(この伏流水は2.26事件となって奔出する)」「(松川や伊地知など)わが国の危急を救うのは、こういういぶし銀のような地味な男なのだ」・・・・・・。そして「要するに司馬遼太郎は、伊地知ひいては乃木を無能・愚将と罵り、両人の顔に泥を塗るために『坂の上の雲』という小説を書いたとしか私には思えない」と激しく言う。
それにしても、乃木希典が「自刃して、多数の戦死者を生じた罪を償いたい」と申し出て、天皇が「今は死ぬべきときでない。卿もし死を願うならば、朕が世を去りてのちにせよ」と止める。乃木は晩年に至るまで、戦死者の遺族を訪ね歩き、手をついて詫びたという。
肉弾戦の日露戦争と、兵士の魂が迫ってくる。